<回想録13> ジューク·レコード開店

「初公開!本人が綴る ジュークレコード・松本康ヒストリー13」
松本康の遺品の中から、自ら人生を振り返った手記が見つかった。
博多のロックの嚆矢・サンハウスの面々との出会いで音楽にのめり込んだことなど一部の経歴は知られていたが、幼少時からの詳細な記述はこれのみと思われる。博多の名物レコード店の主がどのように生まれたか、本人による「メイキング・オブ・松本康」の趣あり。数回に分けてお届けする。
第13回は、ついにジュークレコード開店!ちなみに本文中の山部善次郎事件とは、旧知の山善氏に店番を頼んで外出した松本が戻ったところ、カウンターがジョニー・ロットンの写真だらけになっていて思わず「クビじゃあ!」と叫んだ出来事である。
※本文中の(●)内は松本が推敲の要ありとメモしていた部分


【ジューク·レコード開店】
 1977年5月25日にジューク·レコードを開店した。
 レコード屋は趣味の部分だけではなくアップ·トゥ·デイトでなければならない。
選別をしながら、当時出ばなだったドクター·フィールグッドやラモーンズ、パティ·スミスを開店時のラインアップに加えていた。
鮎川誠が「イギリスからダムドとかコステロが出てきてて面白いよ」と教えてくれたから、その辺りもイギリスのディーラーへオーダーをかけていた。
と、書けば格好がいいが、実際には店の棚はスカスカだった。開店用としてアメリカ·イギリスに2000枚のレコードをオーダーしていたが、商標権の問題で福岡空港に足止めを食らっていた。通関をやっと通ったのが1カ月後だった。それからぼちぼちと商品が増えた。やっとレコード屋らしくなってきたのはその年の暮れごろだったろうか。

 中古盤もやりたいと思い始めた。自分のレコードは売りたくなかった。出したのは出したが(●タイトルは?)3枚だけだった(●正しい?)。それで店頭に「買取りします」の札を出したが、誰も売りに来なかった。あるとき、中古3枚を新品1枚と交換するというやり方を始めた。それからだんだん入るようになった。
 中古コーナーは増え始めたらどんどん増える。口コミで広がり始めた。だけど、何でも持って来られても困る。うちは洋楽で売っているので歌謡曲を持って来られても困る。しかしそこは、既にお客さんのほうから「これはジューク、これは別のとこ」と分けてくれていた。
サンハウスは取っても矢沢は取らないというのをお客さんがわかってくれていた。逆にストーンズなどは高値で取る。そこを分かった、よその中古盤屋の店員さんが、うちに売りに来るようになった。また店でも「これはジュークのほうが高く買ってくれるよ」とお客さんに教えてくれるようになった。その逆もあってうちでも、「○○さんのほうが高く売れますよ」と言うようになった。

 

 最初は店に赤いソファとコカ·コーラのアイス·ボックスを置いていた。プシュッと音がしたら、50円もらう。お客さんはそこでコーラを飲んで帰る。レコードを売るカフェのような、時代を先取りした空間だった。
アマチュア時代のチェッカーズも久留米からやって来てはコーラを飲んでいた。
 在庫も増え、うまく回るようになるのに5年ほどかかっただろうか。最初は99パーセントの借金と120パーセントのやる気だった。モチベーションは高かった。私の欲しいものを出せば、かゆいところに手が届くものを出せば、売れるはずと信じてやった。客としてのキャリアがそこにあった。

 その年の秋ごろ、サンハウスは煮詰まっていた。鬼平と奈良が、飯塚の近畿大学工学部キャンパスでのライブを最後に脱退することになった。このライブは久々に私もメンバーみんなとバスに乗って見に行った。(●もう少し詳しく)
 山部善次郎事件(●)というのが起きたのもこの頃だ。