<鮎川誠ロック塾第6回>
<LiveIvent> 2016年6月26日 at JUKE JOINT
ジューク音楽塾 #11 鮎川誠ロック塾第6回
2015年スタートの Live Ivent 自由区倶楽部提供 「ジューク音楽塾 鮎川塾」at JUKE JOINT
イベント時に作成したブックレットのエクセルデータを発掘。
テキストは鮎川誠
【塾長・松本康の予告文】
『ユー・メイ・ドリーム〜鮎川誠、シーナ&ザ・ロケッツで飛ぶ』(6/26開催)シーナ&ザ・ロケッツの結成から飛躍の期間となる1978年から~1980年代。
バンドの活躍はもちろん、作曲家としての成長を遂げた鮎川誠がどんな音楽を聞いて、どう音楽を実践して来たのか、鮎川誠氏にたっぷり語ってもらいます。
【鮎川のご挨拶】
いつもロック塾に集まっていただきありがとう、今日はシーナ&ロケッツを結成しスタートしたころによく聴いていたレコードの話をしたいと思います。
最近はビートルズの来日50周年が今月の6月29日ということでラジオなどでコメントをいくつか求められましたが、上陸翌日からの武道館公演はテレビでの放映があり、まさにその一大イベントがあったおかげで、田舎のがきの俺も、ただ「ディトリッパー」を知ってる、ちょっとは弾ける、そんな会話だけで素性も歳もわからない仲間のバンドに参加して、久留米の石橋文化センターでステージデビューを果たした話は皆さんはもう、うんざりするほど聞かされたよね。
またさかのぼること4年、中学2年の1962年、レイチャールズやリトル・リチャードなどの(まだ当時は呼び方も知らなかった)ロックンロールやリズム&ブルースのリズムに心を引かれていて、先日こけら落としライブをやった、六つ門の久留米シティプラザがまだ、あさひやデパートだったころ、特設会場の廃盤セールで手に入れた、キング(スペシャルティ)・レコードのコンピレーション25cmアルバム「ROCK ROCK ROCK ROCK」などでビートの洗礼を受けたのが俺のロック好きの原点を形成した話も何度も話しました。
浪人時代に出会った、久留米のダンスホールにレギュラーバンドとして西戸崎からやってきたジ・アタックに憧れ、友達になることができメンバーに加わり、そこから2年後にブルースバンド、サンハウスを結成し、博多のロック仲間とパワーハウスを拠点に活動の輪が広がりました。
ここいらの話は先日刊行された、田代俊一郎著になる「博多ROCK外伝」でその様子が詳しく描かれているのでぜひ読んでいただきたいです。
1975年1月にはイギリスの、DR. FEELGOODがレコードデビュー、
1975年6月サンハウスが「有頂天」でデビュー、
1976年にはニューヨークでRAMONESがデビュー、
思えば、ビートルズ、ストーンズ、ボブ・ディラン、ヤードバーズ、キンクスなど60sのロックにあこがれた第二世代だったわけですが、共通点はみんなが人一倍のロック好きでレコードを聞きあさった世代だったように思います。
70年代の後半になるとパンク・ニューウェィブの時代に突入しました。
1977年はじめだったと思うけれど菊と鮎川は、のちに「ドライブ」というタイトルで発売されることになる、中洲・ビッグトギャザーのライブ音源のトラックダウンのために上京して、お土産に手に入れたレコードは、ジョナサン・リッチマン&モダーンラヴァーズの2nd「Rock'n Roll with・・」とラモーンズの出たばっかいの2nd、「LEAVE HOME」でした。
どちらもとてもかっこよくロックの新しい風を感じて深く影響を受けました。
サンハウスも篠山さんが脱退して4人になりサウンドも必然的にパンクになってゆきました。
パティ・スミスバンドのレニーケイの編纂した、60sガレージロックのコンピレーション「NUGGETS」は(もともとリリースは1972年でしたが)バンド・サウンド、サイケデリックの教科書でした。
さらにWilko Johnsonの先生、ミック・グリーン率いるPIRATESがパンクムーブメントにのって復活を果たし、俺と同じ誕生日5月2日生まれのLINK WRAYの50-60sの復刻盤がパンクレーベル、チズウィックレコードからリリースされ俺のギターのバイブルになりました。
同時代のインディーズの旗手になった、エルビス・コステロやニック・ロウやイアン・デューリー、さらには、DEVOなどを擁したスティッフレコードにははずれがないほど音楽も人間も面白かった。
パンクが面白かったところは荒削りでハイエナジーとともに、温故知新の精神を兼ね備えていたところです。
このような新しいロック旋風をまきおこしたレコードとともに、さらに、最近上映され話題になったロスの凄腕無名のセッション集団「レッキングクルー」を使ったフィル・スペクターの音の壁サウンド、ロネッツなどのアーティストや、JDMレコードのビートルズ以前のポップンロックを寄せ集めたアルバム「ソーダポップ」シリーズをいつも一緒に聞いていたシーナはついに、「あたしもレコードを作りたい、自分の歌ったレコードを自分で聴いてみたい」とぽつりといって、シーナ&ロケッツがスタートすることになりました。
それでは以下に、とても全部は書き出せませんが、シーナ&ロケッツの始まりのころ影響を受けたレコードをリストアップしていますので、ランダムに選曲しながら話を進めていきましょう。最後までよろしくお願いします。
1 NUGGETS -Nuggets: Original Artyfacts from the First Psychedelic Era, 1965-1968 (1972)
そんなに早い時期に発売されていたとは知らなかったアルバム。
1976年にサイアー(ラモンズもそこ)から再発されサンハウスの終わりごろよく聴いた。
編者のレニー・ケイはS&Rのハッピーハウスのニューヨークレコーディングで出会い友達になったが、一級上の先輩。ご存知、パティ・スミスの相棒。
俺がサインを求めると、俺の持ってきたこれはオリジナルのジャケットと違うんだよ、と教えてくれた。
60年代のパンク・ガレージの先輩(元祖)バンドのすごい音楽・演奏が選ばれている。またそれぞれのバンドについて詳しいライナーノートが内ジャケに書かれていてレニーのその博識とリサーチ力と情熱におったまげた。
エレクトリック・プルーンズ、スタンデルズ、ストレンジラブズ、アンボイテュークス、チョコレート・ウォッチバンド、カウント・ファイブ、ニッカボッカーズ、あーもう次から次にぜんぶすごい。
4枚組みのボックスCD化されて、おれの今一番DIGしている、アーサー・リーのラブや、キム・フォーリーなどさらに万華鏡のようなビートバンドのオンパレードになっている。

2 Dr. Feelgood - Down By The Jetty (1975)
このバンドは語りつくせない、かっこいい、いさぎいい、熱い、素朴、こだわり、(もー言葉がわからん、)知らない振りしたインテリ、無愛想、媚を売らない、ロックに誠実、、More&More,ウイルコ・ジョンソンは俺の憧れ、現役、現在進行形、すごいギター演奏家で作曲家で詩人、リビング・ホワイト・ブルースマン、、、また言葉がでない、MoreAndMoreAgain.
ドクター・フィールグッドはこの名づけの由来になったのは、ビートルズのカバーで有名になった「ミスター・ムーンライト」の作者、ブルースピアノマン、ピアノ・レッドの別名でバンド名にも使っていたが、直接的には、ウイルコたちが敬愛し、サウンドのお手本になったジョニーキッズ&パイレーツの持ち歌だったからだと思う。
ギターのミック・グリーンをウイルコは心から慕っていた。ラモーンズ、クラッシュをはじめ、パンクバンドに多大なインスピレーションと勇気を与えた。

3 Ramones, Ramones (1976)
ラモーンズはすごい。1980年、パルコ劇場でシーナ&ロケッツは競演した。すごいスピード感と音圧を目の当たりにして俺はぶっ飛んだ。ジョニー・ラモーンのモズライト(ギター)をチョイスしたセンスが大好きだ。
以来、俺もアンプはマーシャルにかえて、買った時は新品の2203(かな?)、翌年、ピンナップベイビーブルースのレコーディング寸前に神田商会の倉庫に眠っていたビンテージ・モデルを手に入れた。今日までおなじ、その1987という型のアンプを大切に使っている。
シーナは私の歌の先生はジョーイとロニー(スペクター、、ロネッツ)といつも言っていた。
最初にこのアルバムを俺に教えてくれたのはサンハウスの仲間の菊だった。
全員ラモーンズ姓を名乗っているユーモアとリードギターのソロが一切ない首尾一貫したサウンドとキンクスなどを思い浮かばせるコード進行を加えた曲などがアルバムのいい味付けになっているがビーチボーイズのような明るくシンプルなロックでもある。
気取ったことや小難しいことを言わないでストリート(生活)のリアリティを感じさせる、怒りや喜びや悲しみをストレートに表現する手法を発明した。

4 The Modern Lovers (1976)
ジョナサン・リッチマンのデビュー盤。ルーリードを若くしたような歌い方と荒いギターが気に入った。
「アストラル・プレイン」「パブロ・ピカソ」、、何を歌っているのだろうといつも引き込まれた思い出。
オルガンはのちにトーキングヘッズにひきぬかれた。
ジュークレコードの出来立てのころ、松本康からモダンラバーズのインタビューと特集がくまれた、イギリスの音楽誌、メロディメーカーを読ましてもらった。
レコードは1曲目、「ロードランナー」の始まりのジョナサンのカウント(であり、もうそこから歌にきこえるところがすき)「One,Two,Three,Four,Five,Six」でもうすでに勝負あった!ちゅう感じやった。

5 Johnatan Richman -Rock 'n' Roll with the Modern Lovers (1977)
モダーンラバーズのセカンド。サンハウスの最後のころ東京で出たばっかりの新譜で手に入れた。
なんか、軽くてすがすがしさが逆にパンクの精神を感じた。
次の3枚目はライブ盤だった。これもよかったなー。ロケッツを作ったばかりのころメンバーみんなでよく聞き込んだ思い出のアルバムです。以来、ジョナサン・リッチマンのやることにはは目が離せなくなった。

6 Various ,Live At CBGB's - The Home Of Underground Rock (1976)
ミンクデビル、このアルバムで知った、いっぺんで俺もシーナもとりこになった。リーダーのウィリー・デビルはとてもキザでかっこよかった、音楽もうたい方も。
このアルバムはCBGBに出演しているバンドのライブを集めたコンピレーション盤。
ロバート・ゴードンはタフダーツというバンドで1曲目、痛快なロックンロールだった。すぐ独立して、リンク・レィと組んでソロ・アルバムを出した。もっと本格的なロカビリー・サウンド、でも、メンフィスやナッシュビルなどローカルな土着サウンドではなく、ニューヨークという大都会のロカビリーだった。
CBGBというライブハウスが特別な存在に思えるようになった出会いの一枚。ニューヨークのパンクバンドはここから続々とデビューした。
シーナ&ロケッツは1988年に、このあこがれのCBGBのステージに立つことができた。1993年にはその25周年の祝い月間にオーナーのヒリーさんからじきじきに出演のオファーを頂き、2度目の出演を果たした。

7 Various , Soda Pop Jive (1976)
シーナとよく聴いた一枚。
パンク・ニューウェーブせん風が吹き荒れていたころの昔懐かしい60年初期のよせあつめ、とても新鮮な気持ちで聴いていた。
ビートルズ、ストーンズなど、ブリティッシュ・インベージョン(英国音楽のアメリカ侵略)以前の古きよきアメリカのポップでロックなヒット曲を集めたレコード、デキシーカップス、ジョニーとハリケーンズ、シャングリラス、デル・シャノン、時代に関係なくいつでも音楽は生きている、生きているからフレッシュなのです。

8 TELEVISION -MARQUEE MOON (1977)
トム・バーラインという、歌手でギターの名人、パティスミスの恋人、ニューヨークパンクの象徴みたいな存在が率いた最高のバンド。
ハラハラ、ひりひりする、危険な香りいっぱいのツインギター・サウンド。
トムは、もう一人のパンクの親玉、リチャード・ヘルと、ネオンボーイズという、プロトパンク・バンドから、ニューヨークドールズの花形スターだった、ジョニー・サンダースなどもまきこんで、袂をわかってハートブレーカーズやテレビジョンが生まれた。
若いラモーンズやセックスピストルズにとって憧れの存在であったようだ。このアルバム、マーキームーンの作品群ははとても高い芸術性がある。ユニークで超オリジナルだ。



