<Keep On Jukin'> スクリーン

以下のテキストは2013年4月13日、ウェブコラム「Keep On Jukin'」にて松本康が執筆したテキストです。

「土曜日の夜は映画で (Saturday Night At The Movies)」  第3話
 
「スクリーン」

 映画館に行けてない、ずっと。映画好きだと自認しているのだが、全くもって映画が縁遠くなっている。
家には、格安になったと知った5年ほど前、ネットで鬼のようにVHSで、4桁に達する数の映画ソフトを買ったのだが、性格上、見る見ないの波が激しく、今はべた凪の状態。このところ、尻たたき人から音楽についてのブログを書くノルマを課せられているので、尚更だ。
 ブログも音楽だけじゃ淋しいので、映画の事も書きたい。映画に関する本も、半端ない数を集めてしまった。その事も、追々。

 さて私の映画への想いの始まりは、中学生のころ、1964年頃だった。自分の意志で、映画館に行ける年頃なので、小遣いがたまったり、親戚の食料品店でアルバイトしたりした時、よく映画を観に行った。それも、近場の二番館が主だった。
料金は2本立てで100円もしなかったと思う。それとても、わずかな小遣いでは、食べ盛りの少年には、痛い出費だった。つまりは、焼きそばやたこ焼きやうどんに小遣いは消えていた。

 そんな中で、映画への渇望を少なからず満たすものが、映画雑誌「スクリーン」だった。しかし、当時の価格が200円。この頃のバイトの時給が6〜70円だったから、今と比べて10分の1。つまり、今での2000円くらいの雑誌を中学生が買える訳がない。さらに言うと、当時あまり関心のなかったレコードへの出費はほぼ皆無だった。なにしろ、シングル盤は350円近くしていたし、1500円のLPなんて、対象にもならなかった。
 しかしである。この頃、貸本屋というものがあった。私は近くの貸本屋で、この「スクリーン」を借りて、外国への憧れを募らせていた。借りる代金はたぶん1泊2日で、20円ぐらいだったと思う。同時期に「映画の友」という映画雑誌もあったが、カタカナの方がよかった。毎月欠かさず借りるようになると、何日にこの貸本屋に新刊が入ってくるか分かるようになった。それからは、初日に待ち構えて、誰よりも先にピカピカの「スクリーン」を借りていた。

 歳月は流れ、すっかり大人になった私の前に、その頃の「スクリーン」が現れた。それは大名にあった古本屋「痛快洞」での出来事だった。
ここは、昔の漫画のマニアにかこたえられない店だったが、映画の本や往事の雑誌も充実していたので、しばしば訪れていて、ご主人とも少し親しくしていた。
そんなある日、昔の「スクリーン」や「映画の友」がどっさり積んであった。しかも5~600円の価格帯、本の状態も良好。
かつて、東京の神田で見かけた時は、一冊2~3000円もしていた。それにはときめくものがあっても、さすがに手を出すのがはばかられた。
そういう事情だったから、この時、一気に数十冊が我が家にやってくる事になった。その後もご主人は私を意識して、古書市でこの両誌を競り落としてくれるようになり、その度に私のコレクションは増え続けた。
しかし、残念な事に、わたしの大のお気に入りの痛快洞は、店舗をたたんでしまい、ネット販売だけになってしまった。私は行き場所のひとつを無くしてしまった。そして、「スクリーン」コレクションも暗礁に乗り上げている。

 <今回は、映画そのものに触れる事無く、終了。「お楽しみはこれからだ」ということで、To be continued…>