Juke Record 松本康氏 (こーちゃん) との思い出 1958年頃 ~ 1983年頃迄
僕がこーちゃんと出会ったのは随分前のこと、同じ町内のそれも家が一軒隣で生まれ育ったので、小学1年から中学1年までの7年間同じ学校に通いながら色々と教えてもらったことが記憶にあります。
初めてこーちゃんを意識したのは小学校に上がった時、学年が二つ上のこーちゃんは通学を始めた時に僕の手を引いて学校までの引率をしてくれたのが始まりのように思います
勉強ができ品行方正な“こーちゃん“は町内のヒーローだったのです。家にも上がり込んで色々と教えてもらった事も何度もありました。
それから何かあると必ず「こーちゃんを見習いなさい!」と何度となく親や近所のおばちゃんたちから言われたものでした。

これから後はこーちゃんを松本さんと表記します。
家の前の通りでたまに野球をやった記憶があります、当時は車の通行などは殆どなく子供達は誰もが道路で遊んでいた時代でした。道路も殆ど舗装されてなく土の道でした。
よく遊んでもらったのは三学年上のKさん (松本さんの家の真向かいの家) と二学年上の松本さんと一番年下の僕!
Kさんがバッターで松本さんがピッチャー、僕はいつもキャッチャーでした。
他には缶蹴りやかくれんぼもよくやりました。
松本さんの家の前に小さな広場がありそこではビー玉やパッチン (東京ではメンコと呼ぶ) それと喧嘩ゴマなどの遊びをしていました。
僕が中学に上がる時に松本さんが「ひさ坊(僕は当時松本さんからそう呼ばれていた)は何の部活に入るのかを問われて、何も決めてないと返事をしたところ「じゃバスケット部に入らないか?」と誘われ入部することに。
部活が終わった中学三年の秋、初めてストーンズを聴いたのは松本さんの家ででした。
それまで音楽はラジオから流れるものを無意識に聴いてはいたが意識して音楽を聴いたのはこの時が初めてだったと思う。
この時松本さんからストーズや今まで聞いたことのない音楽のレコードを聴かせてもらったのは衝撃でした。
その後高校生の松本さんがバンドで演奏するのを観て僕も中学の同級生でバンドを始めたのがその後のスタジオ開業につながるきっかけでした。
僕の高校時代は松本さんとの思い出は殆ど記憶になく大学生の松本さんがレコードの通販を始めたことだけは記憶にあります。
当時は自宅で学習塾をやってあり評判の良い先生でした。と同時に音楽の方でも自分の道を切り拓いていく途上だったと思います。
僕がサラリーマンを辞め音楽スタジオを始めることにした1979年の春に当時天神3丁目の応順ビル2階にレコード店 ”Juke Record” を開いていた松本さんにスタジオ開業の相談をしたことがありました。その時松本さんはとても喜んでくれて自分の知り合いでスタジオに詳しい人を紹介してくれることに。
そして紹介されたのが元サンハウスの篠山哲雄さんでした。
それから暫くは松本さん、篠山さんとスタジオ開業の準備のため僕の自宅で会合を何度も行いその年の1979年8月1日の開業にこぎつけた思い出があります。
この最初の会合のときになぜか山(YAMAZEN)善も同席したのを今も鮮明に覚えている。彼は部屋の端に座りギターを弾いていました。
スタジオの名前はSTUDIO19 (スタジオジューク)
福岡市郊外糟屋郡須恵町の自宅敷地内に僅か10坪の広さでスタジオと副調整室(ミキシングルーム)を備えた手作りのスタジオでした。
松本さんと篠山さんも休みの日には工事の手伝いに来てくれたりしました。
開業はその年の1979年8月1日、最初の録音が松本さんの縁でデビュー間もないシーナ&ロケッツでした。その後5年ほどして松本さんから「天神にスタジオを作らないか?」との声かけを頂き、僕も天神進出を願っていたのでその話を進めることに・・・
場所は天神3丁目の応順ビル、1階は喫茶店“風街”、2階に”Juke Record”、3階は雀荘があるビルの4階に空きがあるのでどうか?ということでした。
松本さんから好条件の後押しもありスタジオ移転が決まりました。
この時に松本さんからスタジオの名前の変更を求められアレコレ考えた末に19 (ジュークを) ワンナインとすることにしました。
その時すでに松本さんは幾つかのバンドのレコード制作を考えてあったようでこれがその後のアクシデンツ、アンジーその他のプロデュースにつながったのです。。
もちろんレコード制作だけでなくバンド活動の手助けとなる沢山の企画も進められてその後の博多の音楽シーンを牽引されたことは特筆すべき事だと思います。。
応順ビルが建て替わるまでここで松本さんの色々な企画に関われたことは僕にとっての大切な思い出です。
余談ですが応順ビルのオーナーは1階の“風街”のオーナーの森さんの父親で風街の森さんは松本さんの大学の後輩、3階の雀荘のオーナーは野田さんで自宅が松本さん家の右隣り、その隣に僕の家があり幼い頃からの付き合いがあった者同士、当時はご近所さんの集まったビルでした。
松本さん (こーちゃん) との出会いがなければ今の僕の存在はなかったと思います。

レコーディング・エンジニア 有住尋一