Juke Recordsそして松本さんとの出会い

 すっかり就職戦線に出遅れ、自分が何者であるのか、何ができるのかと迷った末、ようやくたどり着いたのは東京にある出版プロダクションでの仕事だった。

大学新卒生として入社し一か月たって命じられたのは半年前にできたばかりの福岡アトリエでの勤務。そこでタウン誌を創るのだと言われた。

会社は天神の小さなテナントビルのテコ入れ刷新に関わっており、そのビルを足がかりに福岡を拠点化してゆくという構想。
それをほとんど一人でやれと言うのだ。

ボスの思い付きに合わせて雑誌を企画し、街ネタを探し、写真を撮り、広告営業し、本を買い取ってもらう店さえ探すという仕事。

街にまったく知己のない就職一年生には手におえる仕事ではない。
社が福岡にこだわるというのもボスの懇意のママが経営する店が中州にあり、その女性の兄が夜の歓楽街のフィクサーであるから、その余禄にあずかりたいというヨコシマなもの。

ジャンおぢ(レコード・ジャングル店主)
Juke Recordsでアルバイト修業した妻と故郷の金沢市で41年前に開業した

 赴任一か月でつまらない仕事にほとほと疲れ果てウンザリしながら天神界隈をうろついていて出会ったのが昭和通の歩道に立つ一枚の立て看板だった。
”JUKE RECORDS  Home of the Beat!(ビートの本拠地)” 極彩色にペンキ塗りされた手描きの看板こそはオアシスへの道しるべ。
喫茶店わきの階段を駆け上がりおおきなガラス戸を開けた時のワクワク感を45年経った今もはっきりと思い出す。


 広い店内にゆったりと並んだ商品棚は良く整理され店主の几帳面な性格を窺わせた。
ロックの基本とそのルーツとしての黒人音楽への愛情が品揃えから溢れている。
何より驚いたのはRoute66やMr.R&Bなどのヨーロッパのコレクター・レーベルから出た50年代の黒人音楽のLPが豊富に揃えられていたこと。


陳列棚の下の段には当時ですら手に入れにくくなっていたコレクター向けの貴重盤LPがずらりと並んでいた。
「それは売りもんじゃなか。貸出し用ったい」と彫の深い顔の背の高い店主が声を出した。
その時ボクは店が「カッコいい音楽を伝道する」という使命を持って営業されているのだとの確信を持ったのだった。

ジュークレコードスタッフ、カスタマーによるレコードレヴュー本「Grooviest Tunes 1200 (vol.1)」

 カウンターには手描き印刷のミニコミ雑誌が。
”Grooviest Tunes 1200”と題されたその冊子はまだ薄かった。
「まだ300くらいしか集まっとらんけんね」。


ロック音楽の歴史を20世紀初頭からの1200曲で地元の愛好家たちが語るという世界中どこにもない企画だったが、その1200曲のリストを見るだけで音楽に対してどれだけ深い見識と愛情をこの店主が持っているのかを窺わせた。
自分が嫌々創っているタウン誌もどきの冊子との何たる違い。

 毎週のようにJuke Records へ通うようになり、約一年してボクは勤めを辞めた。
独立採算を建前とするアトリエが何十万円という立替金を払ってくれなくなったことが理由だったが、福岡で何かを遺すとすれば”Grooviest Tunes 1200”を完成させることだという情熱が気持ちを後押ししたからでもあった。
新たに愛好家たちからの原稿を募集し、書き直し、製版し、ビルの屋根裏に置かれたオフセット印刷機で印刷し製本するという日々。
自分の福岡での一年半を総決算するつもりで松本さんとの作業は続いた。


 モッズやロッカーズがデビューし、めんたいビートと呼ばれていた時代だった。
その兄貴分としてすでに解散していたサンハウスが地元ラジオ局で紹介されることがあった。
ゲストとして出演した松本さんは自己紹介して「5本の指で数えられるくらいのファンの一人だった」と語っていた。
サンハウスは英国のビートバンドが自分たちならではの美意識でブルースを消化したのと同様のプロセスでブルースを消化していた。
英米のビートバンドが作る音楽をコピーしていたほかの国内各地のロックバンドとは天と地ほども違う。
その考えは松本さんにもしっかり受け継がれていたし、”Grooviest Tunes 1200”の志向もあくまで原典主義だった。


 1982年2月、当初の目標の半分の600曲を集めて本は完成。と同時にボクは2年間の福岡での生活に別れを告げた。
松本さんはせめてもの印税だと10冊を渡してくれ、その一冊をボクは田中(妹尾)美恵さんに送った。
P-Vineから「ブルース・レコード・ガイド・ブック」が出るのは6年後のことだ。


 松本さんが亡くなって半年ほどして久しぶりに小西康陽さんが金沢のボクの店レコード・ジャングルに来店された。
Juke Recordsが閉店したことが話題に出た時、ボクはつい「松本さんはボクのお師匠さんでした」と漏らしてしまった。
小西さんは「知ってます。そのお話は松本さんご自身から伺いました」と漏らされた。
その日は一日中ウキウキした気分だった。

ジャンおぢ(レコード・ジャングル店主)